2013年3月5日火曜日

インドネシア:バリ島Ubud  神と暮らす






人との出会いがあったり、いい宿に移ったりしてUbudでの暮らしが楽しくなってきた。
傷は痛むけどケンケンしたり休んだりしながら、のろのろと自分の速度でバリ島を満喫する。



バリの文化や習慣について触れたい。
バリ・ヒンドゥを語らずしてバリは語れない。
人々の暮らしと宗教は密接に関わっている。
インドネシアの人口の8割ほどがイスラム教徒。
しかしバリ島の人口の9割がヒンドゥ教徒だ。
バリのヒンドゥはバリ・ヒンドゥと呼ばれる。
土着信仰や仏教の影響を受けてその特殊な形態をつくってきた。
インドのヒンドゥとバリ・ヒンドゥの違いは何かというと、インドのヒンドゥはシヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマーの3大神が中心なのに対して、バリ・ヒンドゥにはそれら3大神のさらに上に万有神サンヒャン・ウディという絶対神を祭る習慣がある。
そして、直接的な自然崇拝もバリ・ヒンドゥの特徴だ。
(直接的というのは、ヒンドゥは神の伝説に由来する場所として自然を祭ったりするから。)
インドネシア国家は宗教の自由を保障しているけど、「唯一神の崇拝」を原則としている。本家ヒンドゥとは違って唯一神をもつバリ・ヒンドゥはこうしてインドネシア国家とバランスをとっている。

(バリ・ヒンドゥの総本山:ブサキ寺院)

 (俺がバリにいたのはヒンドゥの正月前だった。
宿の家族は1ヶ月前からその準備をしていた。)
 (毎日行われるお祈り。
民族衣装を着て姿勢を正して祈る。)

人々は一日の数時間を宗教儀礼に費やす。
玄関や、部屋の前に毎日お供えをし、聖水をまき、香を焚き、祈る。
バイクにもお供えをする。(これは過去に刀など武具に対して行われていたのが転じたもの)
顔の前で手を合わせ感謝や礼儀を表す。


 (googleより)

食事は箸やフォークを使わず手で食べる。
左手は使わない。左手は不浄の手とされている。

一度、宿のオーナー家族の食事に混ぜてもらった。
どんぶりに張った水で手を流し、皿にごはんを盛って、手で鶏肉をひきちぎる。
野菜をわしづかみ、皿にのせる。それを米と和えながら、口に運ぶ。
最初は肉の脂が手にまとわりつくのが変な感じだった。
でもすぐに慣れて心地よくなる。
箸やフォークで食べるよりも「食ってる」という実感がわく。
食べ物と自分が近くなったような感じがした。



バリでは時代の流れとともに変化をしながら、現代まで伝統芸能がしっかり生き残っている。そしてそれがとても面白い。
宗教観や歴史とダンサーのパフォーマンスが見事に融合している。
バリの伝統芸能はオランダの植民地時代以降にバリを訪れた欧米人の影響を受けてきた。

オランダは20世紀の初めにバリを占領しようとした。
その過程で土着文化滅亡の一歩手前までやったらしい。
国際社会がその破壊的なやり方を非難した。
そこでオランダは方針を変え、植民地にはするけど土着文化は必ず保護すると宣言した。

その土地の伝統芸能に外国人が手を加えることに賛否両論あると思うけど、実際に目にしてみると、地元と海外の芸術家によるコラボだなとポジティブに受け取ることができる。
観客が喜んで、演じる側も誇りを持って演じている。
携わる人が幸せであるなら、文化継承の良い例だと俺は思う。



バリの伝統芸能の中で特におすすめなのはケチャ・ダンス。
10才前後のきらびやかな衣装を着た3人の少女が、男100人の"ケチャケチャケチャ"っていうボイス・パーカッションに合わせて舞う。
観客はそのグルーブ感に体を揺らす。
締めくくりはファイヤーダンス。
馬をモチーフにした飾りをまとった男が裸足で燃えるヤシの上を歩く。
凄い迫力だ。
これは元々、病気が蔓延した時に初潮前の少女の体に憑依させて、精霊に語るための儀式だった。

Ubudでは観光地付近に10カ所近くある大きな寺院で、様々な伝統芸能が毎晩催されている。800円前後の入場料がいるけど、その価値はある。


(ダンサーの動きを描写したくてペンを走らせた。
手の動きが印象的)




(大きな葉っぱを傘の代わりにして歩くおばちゃん。
バリのベストショット!)

バリの人々が、自然や神々を敬い、そうした世界との間に境界線を敷くことなく質素に暮らす姿に豊かさを感じた。
外国からの旅行者がこうした暮らしにうらやましさを覚えるのはきっと珍しいことではないのだろう。





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