2013年3月28日木曜日

カンボジア:アンコール遺跡 文明と自然

シェムリアップを訪れる観光客がアンコールワットで朝日を見るのが慣例らしい。
5:00に宿を出て5:30の朝日を見るという日程。
全日は夜遅く、タイからの移動の疲れが残っていたので、少し考えたけど、アジア旅の残日数が限られていたので、がんばって早起きした。
バイクタクシーをチャーターして遺跡を一日めぐる。
俺が後ろに座った合図をすると、ドライバーが2,3歩地面を蹴って、俺たちを乗せたバイクは道路を走り出した。
カンボジアの朝の空気は冷たかった。


宿から約7km移動してアンコールワットに着く。
辺りはまだ暗い。
懐中電灯で地面を照らす人もいる。
俺は懐中電灯を持ってこなかったので、他の人の光を辿ってに本堂がある中へと進む。
たくさんの観光客が同じ方向に歩いていく。
いろんな国の言葉が飛び交っている。



俺が朝日スポットに着いたころには空が色付いてきていた。
すでにそこには大勢の人がご来光を待っている。




5:30を少し回ったころ、アンコールワットの背後から、太陽が顔を出した。
周りでシャッターを切る音が止まない。
俺は今、アンコールワットにいる!!!





アンコール遺跡は9世紀から15世紀までこの地で栄えた「クメール王朝」の各時代の王によって築かれた。
オートバイで回っても一日かかるほどの広大な土地にいくつもの遺跡が存在する。
まだその全貌は明らかになっていない。
王が変わるたびにこうした建築物を建てていたというから相当の数があるんだろう。
あるものは寺院として建設され、あるものは都市機能を備えていた。


各遺跡には細密な浮彫りが施されている。
しかしこうした細部の装飾は王が変わると中止になったので、ところどころ未完成だったりする。
こうした装飾は宗教的な意味を持つものと、当時の生活風景を描いたものがある。
この王朝は何教だったかというと、仏教だったり、ヒンドゥ教だったり時期で別れる。
その時の王によって仏教になったり、ヒンドゥ教になったりするので、遺跡を見てみると、両方の宗教のエッセンスが混在している。

☆有名な遺跡、年代順
ベンメリア:11世紀後半から12世紀前半(寺院)

アンコールワット:12世紀前半(寺院)

アンコールトム:12世紀後半(都市)

タプローム:12世紀後半(寺院)

クメール王朝は9世紀に興り、12世紀後半で最盛期を迎え、1431年にタイ人に侵略されて終わる。当時のクメール人は南に逃げて、そのまま戻らなかった。
この時、持ち主のないクメール王朝は「遺跡」になった。
アンコール遺跡を歩くと、建築物よりも、自然のもつエネルギーに圧倒される。
特にタ・プロームとベンメリアの、樹齢300年の巨大なガジュマロが遺跡に絡む光景は凄まじい。

「盛者必衰の理」の通り、文明は消えた。
その後、自然がここに繁茂し、支配を始めた。
現代の人間はそのアンコールを再発見し、遺跡を前に議論している。
「アンコールのガジュマロは遺跡を握りつぶそうとしているのか、遺跡を包み込もうとしているのか」
破壊の過程なのか、共存の過程なのか。

その場に立つと、遺跡に絡み付くガジュマロが、おもちゃと遊んでいるように見える。
自然が大きく、文明が小さく見える。





2013年3月25日月曜日

カンボジア:シェムリアップ 英語で活きる

タイに滞在中ほぼ毎日医者に通った。
午前中病院に行って、午後は出かける、というのを繰り返していた。
バリで負った傷は2週間過ぎても、3週間過ぎても良くならなかった。
少し焦っていた。
このまま治らなければ、旅に差し支える。
旅の充実度がグンと減る。
だから、少しでも早く良くなるように毎日医者に通った。
予約した時間に病室に行くと、医者が傷口のガーゼをとって傷をほじくった。
悪くなった皮膚を切り取って、再生を早めるためだ、と。
毎日訪れる痛みの時間。
我慢して耐えた。
早く全開で旅に臨むためだ。
俺は治療が終わる度に、治癒するのにあとどのくらいかかるか、医者に聞いた。
医者の答えは毎日違っていた。
毎日、医者が変わっていたんだ。
俺は毎日英語で同じ説明をして、同じ質問をする。
医者が返す言葉はそれぞれ違う。
だんだん不安になって、いらだってくる。
一週間ぐらい通い続けた後で、病院に行くのを止めた。
タイからも離れる事にした。

4つ目の国はカンボジア。
アンコールワットを目指す。
朝8:00のバスでバンコクを出た。
一緒のバスに乗っていたのは、アメリカ人、ドイツ人、オーストラリア人、日本人、イタリア人、イギリス人。
俺の英語は上達している。
道中彼らとの英語でのコミュニケーションに困らず、ひどくモタつく入国手続きを待つ間も、他の旅行者と楽しく過ごせた。
多分、病院で必死でやり取りをしていたのがよかったんだろう。
ケガが英語の上達につながるとは「塞翁が馬」だね。

(カンボジアの国境を越えてすぐに目に飛び込んできた山積みの荷物を運ぶ車両。)


(ず〜と地平線を両側に見ながらの移動。
この景色が国境を越えてから4時間続く。
地平線はずっと見ててもあきない)
長い道のりだった。
13時間かかってようやくシェムリアップに着いたのは夜9時。
辺は暗い。
バスを降りるとトゥクトゥクのドライバーが群がってくる。
行き先を告げると明らかに高額な料金を吹っかけてくる。
交渉しても値を下げない。
あたりは暗く、俺たちは土地勘のない外国人。
こちらの足下を見ている。
いいよ歩くから、と彼らを振り切り、今まで乗ってきたバスのドライバーに道を聞くと、知らないからトゥクトゥクに聞けと言う。
グルだ。
そう言えば、バスの休憩回数が予定していたよりも多かった。
そのせいで到着が3時間遅れてる。
何かで読んだことがある。
到着を遅らせて、マージン契約のあるホテルに客を送り込もうとする、チームプレーみたいなのが存在する。
多分それだ。
相手がこちらをカモとして見るなら、もうフレンドリーになる必要はない。
しっかりしないとズルズルぼったくられていく。

相乗りできそうな他の旅行者を探す。
同じ方角に向かう人を見つけると、すぐにドライバーが声をかけてきた。
彼の言い値は500円、おそらく相場の三倍。
それを一人ずつ払えと言う。
日本人に払えない金額じゃない。
だけど、彼らはその金額を欧米人には提示しない。
それが悔しかった。
日本人は英語で交渉できないから、吹っかけるだけ払うと思われている。
200円まで値切る。
これでも現地価格に比べたら大盤振る舞いだ。
当然相手は首を横に振る。
こんな交渉をしてみた。
「周りを見てごらんよ。旅行者とドライバーどっちが多い?ドライバーだろ。この金額でも現地価格よりはいいはずだ。この金額で行けないならあなたには頼まないよ。他のドライバーに頼む。あなたはまた別の客と交渉を始めるんだ。きっともう旅行者を乗せたバスは来ないだろうから、この状況だと客を逃して今日は終わりだろう。どうだい?」
ドライバーはしょうがないといった表情でOKした。
ドライバーはトゥクトゥクを走らせながら、俺が行く宿はいっぱいだから、彼が知る宿に行こうと誘ってくる。
彼の提示した宿の金額は安くていいんだけど、運ちゃんに言われるまま着いていってバリで嫌な思いをしていたから、敬遠した。
とにかく俺が指定した宿に向かってくれるように頼む。

目的地に着くとドライバーと少し話した。
根はいい人だ。
やはり「円」がもつ魔力が、ときどき彼を変えてしまうのだと思う。
ざっくり値切って悪い気がした。
彼の生活は苦しいんだ。
ドライバーはすぐそばにいた菓子売りからひと掴みの菓子を買うと、一つどうかと差し出した。
手の上にのっていたのは「ゴキブリフライ」だった。
あまりに急なおすすめで食えなかった。
なのでゴキブリの味はリポートできない、ごめん。

始めて日本人宿に泊まってみた。
アンコールワットは今回の旅の目玉なので、母語で丁寧にプランニングしたかった。
玄関脇にある食堂に大勢日本人がいる。
ほとんど大学生くらいの年齢だった。
久々の日本語。
ビールを頼んで、向かいに座っていた人をつかまえて話し込む。
舌が止まらない。
日本語が恋しかった。


2013年3月24日日曜日

タイ:セックス産業について




何で読んだのか覚えていないけど、タイを訪れる日本人男性の7割が買春をしているらしい。
カオサンロードなどで会った日本人と話をすると、やはりそのくらいかそれ以上だと思う。
買春と聞くと、お金のある中年男性が若い女の子を金で買うのをイメージするけど、案外、旅行で来てる大学生がグループで歓楽街に出かける話をよく聞く。
つまり彼らがバイトで稼いだ金で行けるくらい、タイの買春相場は安いという事だ。
ネットで調べると高くても10000円、安いと3000円程度で本番行為が可能とのこと。
日本の相場の3分の1程度のようだ。

売買春については賛否両論。
国によっては合法化されているところもある。
下の地図は世界の売買春の法律を色分けしたもの。

赤は違法、緑は合法、青は条件を付けて合法。
これを見るとヨーロッパの先進国に合法化の傾向があるのが分かる。
東南アジア全域は赤。
しかし違法としている国でも、婚前SEXを認めないイスラム国家であるマレーシアでさえ買春街が存在する。
こうした場所には店側と警察との裏取引がある。

タイのセックス産業はこんなにも有名だけど、タイも違法だ。
GDPのうち約9%を占める観光業とセックス産業が密接に関わっているために、タイ政府もあまり踏み込まないのだろうか。

こうした外国での売買春について俺は反対派だ。
賛成派の意見では、お金が必要な人が金を稼ぐ手段だとか、職業選択の自由だとか、人類最古のビジネスだとか、色々ある。
それはそれで分かるんだけど、この発想は買う側の自己弁護だ。
売る側の本心や、売るに至った背景があまり加味されていない。
タイのセックスワーカーの9割が「十分なお金があればこの仕事を辞める」という。
もちろんやりがいを持って仕事に取り組んでいる人もいるけれど、お金がなくて、もしくは贅沢がしたくて人が体を売るという構図は、資本主義・物質主義による強姦のように思える。

タイのセックスワーカーの出身地で多いのが北部と東北部だという統計がある。
約8割がこの地域の出身だ。
この辺りは貧しい。
貧しいから出稼ぎにくる。
貧しい人がセックス産業を使う。この流れは「ビジネス」かもしれない。
ただ、貧困とセックス産業がパイプでつながると、その流れは逆流する可能性がある。
セックス産業が貧しい人を使う。この流れは「人身売買」につながる。
貧困国では借金のカタなどに少女が売られ、レイプや暴力を受けたという報告がたくさんされている。日本でも、何年間も売春を強要されていたアジア人女性が支配人を殺害する事件が起きている。

http://www.npo-gina.org/pasd/GINA/sub4-p.htm

俺は日本人が日本の風俗に行く事になんとも思わない。
タイ人がタイの風俗に行くのもいいと思う。
でも、豊かな国の通貨が、貧しい国の産業に与えるインパクトはあまりにデカイ。
先進国の人々が歓楽街に支払う「円」「ドル」「ユーロ」の魔力が、人身売買などのセックス産業の闇の部分の拡大に影響している事は間違いないと思う。





俺が外国での売買春に反対な理由はもう一つある。
HIVの脅威。
下の地図は世界のHIV人口比を表している。
(このリンクからジャンプすればもっと大きな地図を開ける。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2260.html)


赤がセックスワーカーのうちHIV感染者の割合。
青が男性間行為者のうちHIV感染者の割合。
緑がドラッグ注射者の割合。
棒グラフの長さではなく、ぜひ上のリンクを開いて数字を見て欲しい。
どれぐらい海外での売買春が危険かがよく分かる。
タイのセックスワーカーのHIV感染率はここには出てこないけれど、別の統計では週20人以上客を取るタイのセックスワーカーの67%がHIV感染者という数字が出ている。
2〜4人の客を取るワーカーでも30.8%だ。
(http://www.npo-gina.org/pasd/GINA/sub4-F.htm)
これはもの凄い数字だ。

HIVは現代では死なない病気だと楽観視する声もあるけど、実際にHIVになりたいかというと、絶対になりたくない。
日本に比べて金額が安いからと、途上国で売春をするリスクは、その対価に比べてあまりに大きすぎる。
UK国籍の異性愛者のHIV感染者のうち69%が海外で感染していて、そのうちの22%がタイで感染したという。(http://www.npo-gina.org/pasd/GINA/sub4-F.htm)
決して脅すつもりはないんだけど、もしも過去に経験がある人がいたら、性病検査を受けてほしい。保健所など無料で匿名で受けれる。
性病検査は日本ではあまり馴染みがないけれど、俺の友人は半年に一回くらいの割合で定期的に受けている。


今回少し固い話になった。
タイのピンポンショーを見てからいろんな疑問が湧いたので、web上の資料を読みあさってみた。
売買春についていろんな考えがあると思う。
もしも今回の投稿で気分を悪くする人がいたら、俺の個人的なメモだと思って欲しい。

最後まで読んでくれてありがとう。


2013年3月23日土曜日

タイ:バンコク 夜の町 ピンポンショー

いつも読んでくれてありがとう。
すでに日本に帰国しましたが、日記は最後まで書くつもりでいます。
長文なのにもかかわらず、毎回30〜50人くらいの人が読んでくれているみたいで本当に嬉しいです。
統計を見ると、海外に暮らす仲間たちも見てくれているようです。
みんな元気にしていますか?

今回はドイツ人女性と訪れたバンコクの夜の町、風俗産業のレポートです。
このテーマ上、セクシャルな表現に気分を害される方もいると思います。
こうした話題で気分を悪くされる方は、今回は読み飛ばして下さい。
よろしくお願いします。

大嶋敦志






ピンポンショーとはステージ上のダンサーが性器を使った一芸を披露するというもの。
あそこからピンポン球が飛び出したり、シャボン玉が飛び出したりする。
と、ドイツ人女性2人が説明してくれた。
Janaはそれに一緒に行こうと言う。
もう一人の彼女はピンポンショーに行った事があって、まあまあ楽しめたとのこと。
俺ももともと、タイのレッドストリート(歓楽街)には社会科見学に行ってみるつもりではいたし、男同士で行くよりも、女の子と行った方が、人に話した時に聞こえが良いかと思い、Janaと出かけることにした。
あんまり変わらないか。

宿に荷物を置きに帰ると、道で日本人のグループに会った。
3人いて1人は女の子だった。
彼らはこれから飯を食いに行くところで、俺たちがピンポンショーに行くというと一緒に行きたいという。
5人で行く事になった。
道でタクシーを捕まえ、無理矢理5人で乗りこみ歓楽街に向かう。
しかしこの日はElection Day、国をあげての休肝日。
到着した歓楽街にネオンは灯っていない。
ところが、タクシーのおっちゃんは裏でやっているところを知っているという。
一人1500円かかるけどどうかと。
5人での話し合いの結果、人生に一度きりの事なので行くことで全員一致。
俺たちを連れて行くとおっちゃんにマージンが入るらしく、交渉の末、900円まで値下げ出来た。

タクシーを降りると辺りは暗い。
光の漏れない分厚い扉の前に男が数人座っている。
中から、欧米人やタイ人がショーを見終わって出てくる。
女性客の姿もちらほら。
分厚い扉を開けると音楽が溢れてきた。
フロントにそれぞれ900円払って中に入る。
中は渋谷のクラブぐらいのスペースで、中央にステージがある。
その周りをパイプイスに座った観客が取り囲む。
一応、非認可の闇ステージではあるけれど、観光客で賑わっていて、セックス産業のドロドロとした雰囲気はない。
ステージではダンサーが股を広げて性器から万国旗を取り出している。
万国旗は5mくらいあってダンサーの腕では足りず、4本あるポールのうち2つを滑車のように使って、先端を引っ張っている。
次々に各国の旗が飛び出してくる。
アメリカ、イタリア、イギリス、バングラディッシュ、中国、オランダ・・・。
全て取り出し終えると、ダンサーは一礼してパンツをはき、誇らしげにステージを降りる。

すぐに別のダンサーがステージに上がる。
直径20cmくらいのガラス容器と空のビールジョッキを持っている。
ガラス容器の中にはローションに浸かったピンポン球が入っている。
ダンサーはステージの端にジョッキを置き、反対の端にガラス容器を置く。
ローションの中からピンポン球を取り出し、しゃがんで股間につめる。
ダンサーが立ち上がって股を開く、ふんっと力むとアソコからピンポン球が飛び出して、数回ステージ上をバウンドしたのち、ビールジョッキにコツンと当たる。
ジョッキの中に玉が入ると会場から拍手があがる。
これがピンポンショーだ。

一番会場がもりあがったのは、吹き矢だ。
ダンサーが性器に筒を挿入した状態でステージに寝そべる。
三角錐型の矢をその筒の先に取り付けて、膝を立てて腰を浮かせる。
もう一人ダンサーがやってきて空気の詰まった風船を投げる。
腰を浮かせたダンサーが狙いを定めフンっと力むと、筒から勢いよく矢が飛び出して、ぱあーんと空中で風船が割れる。
会場から拍手があがる。

ばーか

Janaは目の前で連続的に繰り広げられる珍芸に手を叩いて喜んでいる。
俺も最初はあぜんとしていたけど、段々とその清々しいまでのお下劣ぶりに笑いがこみ上げてくる。
ダンサーが真剣なほど笑えてくる。
誰も出来ない、誰もやりたいと思わないプロフェッショナル。
あっぱれ。
辺りを見回すと欧米人は男も女も楽しんでいる。
一方、日本人はどうしたらいいのか分からず、どぎまぎしている。
股間でタバコを吸ったダンサーがステージから降りるなり、火のついたタバコを俺に差し出してきた。「I don't smoke」といって断る。たとえ俺が喫煙者でも遠慮したい。
隣の客はそれを受け取って吸い、チップを要求されていた。・・・ははは。

ピンポンショーの最後はカーマスートラ。
ペアがステージ上に登場したかと思うと、おもむろに本番行為を始める。
これには虎を手なずけるさすがのJanaも静かになっていた。
黙っているとお互い気まずいので、なんとか話題を見つける。
白々しいことばかり思いつく。
どうしても意識はステージに釘付けだ。
ステージ上のペアは次々に体位を変えていく。
ポールを使って逆立ちをしたり、腰に足を巻き付けて持ち上げたりと、どんどんアクロバティックになっていく。
最後は「最後」だ、ご想像の通り。

どうやら、一連のショーが一時間ごとのローテーションで繰り返されるらしい。
俺たちは2ローテーションそこにいた。
同じ人が同じ芸を披露する。
もちろん最後も同じペア。
このペアは一日に何回するんだろう。
いくらもらえるんだろう。
そう考えると気の毒に感じてしまった。
Janaも同じ事を考えていた。

タクシーでJanaをホテルまで送ったあとで、部屋に戻って一人でぼけーっと考えた。
ピンポンショーは、会場ではさんざん笑った。
けど心に何か引っかかってる。
パソコンでGoogleのページを開く。
「タイ セックス産業」と打ち込む。
するとタイでの風俗情報がズラ〜っと出てきた。
目を通すとほとんどが体験レポートだ。
日本人による買春の記録が並ぶ。
ピンポンショーの文字はでてこない。
日本人の間ではあまりメジャーではないらしい。
表示された体験記に一通り目を通して、検索ページを一つめくると「人身売買」や「HIV」といったキーワードにリンクする。
タイのセックス産業はこうした国際的な問題につながっている。

次回、少し触れたい。

2013年3月22日金曜日

タイ:カンチャナブリ 水上マーケット、死の鉄道、タイガーテンプル

朝7時、乗り合いのバンに乗って3時間、カンチャナブリという町にいく。
そこで「戦場に架ける橋」のモデルになった橋と、タイガー寺院と水上マーケットを見る。
ホテルまで俺を迎えにきたバンにはすでに8人が乗っていた。
日本人が俺ともう一人、ドイツ人が3人とあとはどこだったんだろうか。
前席にヒザを圧迫されながらの3時間はキツい。
車内は暑く、効かない冷房のために窓を閉め切っていて酸素が薄い。
これが移動、昼食、ツアー込みで1500円のパッケージだ。
でもいい。
この汗にまみれた感じ、旅を感じる。

(バンでの移動時間を使って絵を描く)





バスは最初、水上マーケットに着いた。
水上マーケットは英語でFloating Marketという。
「浮かぶ市場」という意味だ。
川沿いの高床式の家に住む人々が、ボートで商売をする。
そのゆったりとした風景に、忙しい国の観光客の心は安らぐ。
水は濁っているけどそれすらアジがあっていい。
俺はせっかくなので水上屋台で朝飯を食った。
平凡な味でも、この特別な状況が格別だ。
ウキウキする。

飯を食いおわると川沿いの道を歩く。
長い。ずっと向こうまで船の露天が続いている。
船上から、商売人が威勢良く観光客を呼ぶ。
橋の上からスケッチをした。
しかし無数にあるボートを書き留めるのは俺には難しい。
紙を何枚も無駄にしてようやくいい構図ができた。
遠近法を使って、視界の奥まで船と人で埋め尽くされた空間を表現する。
しかし、船の上の品物をかき込む時間はなかった。





バンは再び人をつめ込んで次に向かう。
泰緬鉄道。
「戦場に架ける橋」のモデルになった場所だ。
英名では「Death Railway」として知られる。
第二次世界大戦中、日本軍は捕虜や労働者に過酷な労働を強いて、タイからミャンマーまでの線路を敷いた。この鉄道建設は作戦上大きな成果をもたらしたけど、数十万人の欧米人捕虜を始めとする労働者を使い。過酷な労働で10万人以上が命を落とした。
線路の脇には餓死または過労死した労働者の死体の山が築かれたという。
それでDeath Railway、死の鉄道と呼ばれている。
この線路の近くの博物館では当時を再現した等身大のジオラマや、鉄道建設に使用された工具が展示されていて、その凄惨な歴史に触れることが出来る。
文字で綴られた教科書の中の戦争が、現実味を帯びて目の前に現れる。
人間は過去の過ちを時間の経過の中で少しずつ美化していく。
決して光り輝く段階に達することはなくても、角は削られ、丸くなっていく。
そうして次の世代では別の形になる。
もしかすると、戦争の歴史は、あえて傷をむき出しにしておくべきなのかもしれない。
ジオラマの人形の表情が当時を露骨に語る。







このツアーに参加していたJanaというドイツ人女性と仲良くなった。
彼女はイギリスに長いこと住んでいるので、英語がめちゃくちゃうまい。
うますぎて早すぎて聞き取れないことがある。
彼女も一人で旅をしている。
次に行ったタイガーテンプルはJanaと一緒に歩いた。

タイガーテンプルとは虎と僧侶が一緒に暮らす寺院だ。
猛獣と人間の共生は、密猟によって孤児になった虎の赤ちゃんを近隣住民が持ち込んだことに始まる。今では何世帯もの虎家族がここで暮らしている。
虎に触るのに1800円を払うんだけど、虎は毎日数羽の鳥を食うというので、エサ代と思うと妥当だ。

虎が人間と暮らすなんて最初信じられなかったけど、虎の行儀がいい。
実際近づくとなると、安全上、虎の正面には立つなとか、虎よりも低い姿勢になるな、とかあるけれど、虎は人間に慣れていて、人のスキンシップを警戒しない。
でもたまに吠える。
その度に俺はビクつく。
一緒にいるJanaは「こんなの大きなネコよ」といって、虎のお腹をくすぐっている。
そう言われると大きなネコに見えてくるけど、笑う「大きなネコ」の牙を見るとやっぱり虎だ。
それでもJanaは大きなネコと戯れている。
俺には虎も、ある意味Janaもこわかった。
タイガーテンプルには虎の他にも水牛やらチーターやらいろんな動物がいる。
サファリパークのような広い土地で、こうした動物に触れながら散歩が出来る。
さすがに大きな虎は鎖で地面に繋がれているけど、僧侶が鎖で虎と散歩をしているのを見たりできる。
あっというまに時間が過ぎた。





タイガーテンプルを出ると、俺たちを乗せたバンは帰路についた。
また3時間、ヒザがつぶれるような狭い車内に閉じ込められる。
俺は最後部座席に座っている。
横にはJanaがいてその奥にはまたまたドイツ人女性が座っている。
彼女も英語が達者で、俺に気を使って二人は英語で話してくれた。
しかし申し訳ないことに彼女たちの英語が高度すぎて、また車外のノイズが邪魔をして聞き取れない。
俺はしばらくすると疲れて眠ってしまった。
すると彼女たちはドイツ語で話し始める。
すごい。この言葉の切り替え、どっちがファースト・ランゲージか分からないくらいだ。

しばらくすると二人が興奮したように話すのが聞こえて目が覚めた。
Janaは俺が起きたのに気づくと
「Hey Atsushi ! Let's go to Ping-Pong Show tonight !」
ピンポンショー?
何だそりゃ?

つづく











2013年3月20日水曜日

タイ:バンコク エネルギーの町



バンコクはとにかく暑い!
太陽が近い!
お坊さんとバイクが多い!
そして、すっぱい匂いがする!

駅から公共のバスにのってカオサン付近で降りる。
当然、ドライバーや切符売りのお兄さんに近くにきたら声をかけてくれるようにお願いしたんだけど、伝わっていなかったらしく、終点から折り返すはめになってしまった。
なんで聞いた時に頷いたんだよ・・・。 
タイの英語の通用度はマレーシアに比べると低い。 

バスから降りて、ホテルを探す。
少し歩くだけで旅行者の雰囲気がマレーシアとここでは違うことに気づく。
タイには開放感がある。
どういうところでそれを感じるかというと、マレーシアでは他の旅行者とコミュニケーションをとることがほとんどなかったけど、ここカオサンでは地図を持ってうろうろしていると誰かしら寄ってきて道を教えてくれる。

金曜日はどの国の安宿街も観光客でごったがえしている。
なかなか予算内でおさまるいい部屋が見つからない。
ようやく、カオサンロードまで15分くらいのところに宿をとった。
辺りはカオサンの喧噪からは離れていて、落ち着いた雰囲気がある。




荷物を置いてさっそくカオサン見物に出かける。
さすが、バックパッカーの聖地。
タイ人よりも外国人の方が多い。
タイの日常生活は見えない。
フルーツや焼きそばを売る屋台、トライショーのドライバー、マッサージのソファが通り沿いにズラーっと並び、すごいカオスだと唖然としていると、食用サソリを売る行商とぶつかる。
ラグジュアリーなカフェやレストランの通りに面したテーブルは欧米人でいっぱいだ。
カオサン通りは観光客を中心に全てが回っている。
そして商売人の熱心さには舌を巻く。


せっかく王国に来たんだから王宮を見たい。
カオサン通りには夜にまた来よう。
大きな通りに出てトゥクトゥクをつかまえる。
タクシーにしろ、バイクタクシーにしろ、トゥクトゥクにしろ、東南アジアのプライベートな乗り物はドライバーとの値段交渉から始まる。
日本人はまず現地価格では乗れないと思っていい。
さらに言うなら現地価格、外国人価格、そして日本人価格すらあるといえる。
彼らは日本人を一目で見分ける。
交渉で向こうの言い値の半分までディスカウントさせることが出来たら合格点だ。
王宮までは言い値の四分の一まで下げることが出来た。
ところが王宮の入り口まで着くと、すでに閉門の時間を過ぎていて中には入れなかった。仕方ないので帰ろうとするとおじさんが近づいてきた。
「君、王宮に入れなかったんだろう、残念だったな、川の向こう岸にある寺院ならまだ間に合うから行ってみるといい」
「本当ですか?行きたいです」
「そうかい、それなら是非ツアーに参加しなさい。辺りをぐるっと回って色々見れるよ」おじさんはトゥクトゥクをつかまえて値段交渉までしてくれた。
60円。破格だ、さすが地元。桁が一つ違う。
「これに乗れば対岸までの船が出るポートまで行ってくれる。気をつけてね、君は明らかに外国人だから。受付で高めに請求されるかもしれないけど、きちんと交渉して下げるんだよ。正規の値段は4500円だから」



おじさんと握手をしてトゥクトゥクに乗り込む。
ドライバーがアクセルをかけるとブオ〜ンとトゥクトゥクが走り出した。
なんかひっかかる。
タイで4500円とるツアーなんて考えられない。
地球の歩き方を開く。
そこには「ワットアルンある対岸に渡る船が9円でポートから出ている」とある。
こりゃはめられてるな。
ポートに着くと若いあんちゃんが近づいてくる。       
案の状、ツアーに参加するようにプレッシャーをかけてくる。
高すぎるというと1000円単位で値下げしてくる。
まともな商売をしていて、こんな大幅な値下げなんてありえない。
ツアーはいらないから向こう岸に渡るのはいくらか聞くと、そんなのは知らない、という。
ちょっと考えると言ってそこを去った。
しかし、どうやら王宮前のおじさんはやり手らしく、次から次に観光客を乗せたトゥクトゥクがポートにやってくる。
9円で向こう岸に渡れることを教えてあげようかと思ったけど、高いかどうかを判断するのはそれぞれの判断なのでゆだねるべきなのでやめた。




付近の人に聞いて、30分後に正規のポートに着いた。
地元の人と同じ値段を払って船に乗る。
吹きさらしの船が川を滑り出す。
水は濁っているけど、船が水をかき分ける音は心地いい。
5分くらいで対岸に着いた。
そこには外壁を陶器のモザイクで埋め尽くした寺院がそびえ立っていた。
とても堂々としていて迫力がある
建築物というよりも生き物のようだ。
これが立てられた時にやはり王と仏教の権力を表すためにここまでの装飾がなされたんだろうけど、何百年後の今日でも見る人を圧倒するっていうのは、人間には共通して持ってる美意識みたいなものがあるからなんだろう。









寺院はお金を払うと階段で上に昇れる。
激しく急な階段を昇ると周辺の町並みが一望できた。
夕暮れのグラデーションがバンコクの奥で始まっている。
太陽は丸く、落ち着いた光を放つ。
その輪郭があまりにはっきりしているので、空に張り付いているようだ。
45日間のアジア旅はすでに後半だ。
こういう美しいものを見逃さないように大切に残りを歩みたい。