2015年6月12日金曜日

ベトナム:ホーチミン ドラッグに奪われた時間



カンボジアのプノンペンからバスでおよそ六時間
ベトナムのホーチミンに着いた
午後一時、安宿を探すがベトナムの物価は他の国に比べると高い
なんとか1200円くらいのホテルが集まっているところを見つけた。
重要なのはスタッフの人柄。
お客が欲しいのは分かるんだけど、
みんながっつきすぎ。
一番がっついていないところに決めた。

ホーチミンには一泊しかしない
明日の夜にはベトナムの首都ハノイに飛ぶ
ハノイへのフライトまで24時間以上あるので、
限られた時間の活用に集中する。
明日の朝からのクチ・トンネルへのツアーを申し込むことにした。
世界の安宿にはツアーの案内がある。
宿が企画しているものもあれば、
地元の業者と提携していることもある。
英語がある程度分かるなら、是非おすすめしたい。
現地価格で観光が楽しめるし、他の旅行者と仲良くなることも多い。
ローカルの人々が組むパッケージになるので、
他の日本人観光客とは違った経験が得られることもある。




ホーチミンの町を歩いた
ドイモイ政策下の社会主義国を見学に行く
「ドイモイ政策」をざっくり言うと、資本主義をほど良く受け入れていく政策
例えば、社会主義の国なのにアメリカのファストフード店を見かける
コーラも飲める
ざっくりすぎてごめんなさい・・・




ベトナムの米麺、フォーを食べる
透明なスープに麺と薄いチャーシューともやしが浮かんで400円
高い!
こんなの日本でも400円で食える
吉野家の牛丼の方が全然いい
でも、気を取り直してまた歩く
有名らしい教会に着いた
どこか殺風景で特別な感情やインスピレーションは湧かない
教会をぐるっと一周してみる
小さな公園があった
物凄い人口密度
若者たちがあちこちにかたまって座って話している
所狭しと密集していて人がブドウみたいだ。
何人かうまそうなものを食っている
フォーのリベンジがしたい
彼らはきっと安くてうまいものを知ってる
しかし会話に割って入る勇気が出なかった。


ホテルまで帰るとまだ少し明るかった
近くの広場で少しギターを弾くことにした
俺の向かいのベンチでは男娼が客と交渉をしている
さっきから綺麗な女の子と目が合うが、彼女も多分「彼」なので
声をかけるのはやめておく
30分くらいギターを弾いていると、大学生くらいの若者が声をかけてきた
彼はトンといい青年会の遠征でタイから来ていた
簡単な語彙だが英語がうまい
話し方から誠実さが伝わってくる
日本人と始めて話すらしい
英語が通じることを喜んでくれた
どんどん深い話題へと進み、
その爽やかな見た目からは想像もできない自身の過去を語ってくれた

トンは10代前半に仲間の勧めでドラッグに手を出し、
15才の時にはすでにドラッグ中毒になっていた。
高校も行けなくなり、家庭では暴れるか無気力かの廃人だった
家族の勧めでリハビリ施設に入り、治療を開始する。
3年後、家族の支えと、本人の意志の力で、
ようやく地獄のような禁断症状を乗り越えた。
当時18歳。
高校にもいけず、すで青春の大部分を奪われていた。
将来を悲観視していたが、家族が話していた「国際交流」に強い関心をもった。
医者にはドラッグの後遺症で脳の機能が完全でないことを告げられていたが
猛勉強して一年後、国際交流活動が活発な大学に進学した。
そして今日、国際色豊かな仲間とベトナムに来て、
初めて日本人と話している。
英語は始めてまだ半年だという。
凄く上手だ。
トンはドラッグのことを後悔している。
失った時間は取り戻せない、と。
自分は遅れているのだ、と。
トンはそこまで話し終わるとそのまま黙った。
眉をくいっとしかめ、無言で俺に人生の先輩としてのアドバイスを求めている。
言えることはない。
こんなこと乗り越えたことない。
でも、人生の先輩ヅラをしたまま、
「支えられたなら、次は支える番だね」と言った。
何も言わないことだけ、この場では不正解だった。

今でも自分の言葉を思い出す。
そして恥ずかしくなる。
今でもトンの方が上だと思っている。