マレーシアのクアラルンプールから30時間の列車の旅を選んだのは、ティオマンで知り合ったカンナさんに勧められたからだ。
かごを頭にのせたおばちゃんがフルーツやなんかを売りにきて、いろんな珍しい食べ物をつまみながら窓の景色を眺める、のが格別だとか。
周りの人々とも自然にハーモニーが生まれる、だとか。
だから絶対にマレー鉄道がいいよ、と彼女は言っていた。
向かいの席には45歳くらいのマレーシア華僑の男性が座っている。
彼は俺とバンコクまでの22時間をともにする。
コミュニケーションをはかろうと話しかけたけど、男性は口元で人差し指を立てて横に振る。
彼は英語を話さない。
男性は10人くらいの家族と来ているようで、楽しげに周囲と話しはじめた。
声がものすごくでかい。
隣にいる人と1km先までとどくような大声で話している。
ファミリーは彼の言うことに笑い転げている。
中国語なので俺にはさっぱり分からない。
会話の合間ににこっと微笑みかけてくるので、俺も微笑み返すけど、本当はどうしたらいいのか分からない。
疲れて眠ることにした。
目を閉じる。
疲れているのですぐにまどろみにのまれていく。
・・・・・・しかし。
がはははははははは!
すぐに目の前で爆発音のような笑い声がして目を覚ます。
ファミリーはそんなことつゆも知らずワイワイやっている。
俺にはこの構図が無邪気な拷問にしか思えない。
カンナちゃーん(涙)
列車はButterworthを出て5時間ほどでタイとの国境に着いた。
ここでマレーシアからの出国、そしてタイへの入国の手続きをする。
乗客は列車を降りて、窓口に並ぶ。
手続きは外国人とタイ人、マレーシア人に別れて行われる。
審査官は無表情でスタンプをドスンドスンと捺していく。
こうも機械的な手続きを見ていると「国籍」なんて紙切れに思えてくる。
そういえばアインシュタインも「国家なんて幻想だ」と言っていた。
入国審査を終えて列車に戻ると、ほどなく夕食の時間になった。
タイの国境をくぐるとさっそく弁当売りのおばちゃんがやってきた。
夕飯のあてがなかったので頼むことにした。300バーツ。
1時間後に持ってくるという。
買ってから気づいたんだけど、300バーツって日本円で1000円くらい。
タイの通貨に触れたばかりで何も分からなかった俺は、おばちゃんに言われるがまま日本でも食べないような高級弁当を頼んでしまった。
ファミリーが向かいの男性の周りに集まって食事を始めた。
彼らは何重にも重なる弁当箱で10人分の食料を持ち込んでいた。
カレーやごはん、漬け物、サラダまである。
俺は小腹が空いていたのでパンケーキを食った。
それを見て、粗末なパンケーキが俺の晩飯だと思ったらしく、ファミリーのおばちゃんが一緒に食べなさいといってくれた。
I
ordered my dinner yet. と断った。
おばちゃんは英語がわかるらしいけど、俺の発音が悪かったのか伝わらず、おばちゃんは紙皿にカレーとごはんと漬け物をのせて持ってきてくれた。
これを断るわけにいかないので、味見程度にいただくことにした。
美味しくてお代わりまでしてしまった。
それまでレストランでしか食べてこなかったから家庭の味が嬉しくもあった。
われながら良い食いっぷりだった。
同じものを食うというのはそれだけでコミュニケーションになり得る。
家族は笑っている。
そこに頼んでおいた高級弁当がやってきた。
それを見て家族は唖然としている。
それも平らげてみせた。
21:00
係員が手際よく座席をベッドに変えていく。
俺は自分のベッドが組まれると、寝そべって本を読んだ。
横になると旅の疲れが溢れ出てきた。
まぶたが重く、本が持ち上がらない。
すぐに眠ってしまった。
まぶたを閉じて眠りに着く前の数分間、自分の家族を思い浮かべた。
うちは10年以上前のある出来事がきっかけで家族関係、親類関係が複雑になってしまった。
列車で出会ったファミリーのようにみんなで旅行なんて俺の家族では想像できない。
夕食に混ぜてもらって、嬉しくて、うらやましくて、少しだけ寂しくなってしまった。
がはははははははははは!
あの大地が割れるような笑い声で目が覚める。
無邪気な拷問は続いている。
ウトウトしているとファミリーのおばあちゃんが中国語で何かをいいながら、煎餅菓子を握らせてくれた。昨日あれだけ食ったので、食べ物を見るのも嫌だったけど、断れないことはもう分かっていた。
列車は昼過ぎにバンコクに到着。
先に車両を降りるファミリーと手を振って別れ、18kgの荷物を背負う。
さあ3ヶ国目。
いい出会いがありますように。
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