2013年2月11日月曜日

マレーシア、世界遺産の町 マラッカ


朝から凄い雨。
マレーシアに入って一日に一回は必ず雨がふったけど、ここまでの土砂降りはなかった。
今日は次の地に発つ。
出発まで時間があったので、駅のベンチで暇をつぶすことにした。
駅には17、8歳くらいの制服集団がいた。
僕がベンチの端に座っていると、反対の端に男子生徒が腰掛けた。
見りゃ分かるんだけど、彼に学生か聞いてみた。
彼は急に話しかけられて少しびっくりしていた。
でも丁寧に陸軍学校の生徒だとこたえてくれた。
そこにもう一人やってきて、2人に話を聞いた。
公立校は無償であること、大学も公立は無償で、私立大学であっても学費は働きながら通えるくらいであること。
そして彼らの陸軍学校は寄宿制で様々な宗教や民族が一緒に暮らし、週末は一緒に出かけていること。
へぇ〜。
テレビで見たムスリムのイメージと全然違う。
もっと話したかったけど、電車の時間が来てしまった。

電車にのってTBSという巨大なバスセンターに向かう。
日本のバスセンターよりも近代的だ。
空港の出発ロビーをイメージすると近い。
広ーくてフラットな空間にアナウンスが響く。
13:00 俺が乗るバスの時間がやってきた。
次の行き先はマラッカ。
マラッカ海峡の街。
街そのものが世界遺産だ。
イスラム教の歴史と、1511年からの欧米と日本による支配の歴史を今に残す。
マラッカへはクアラルンプールからバスで2時間。
費用は250円。
やっすーい!!


バスの中で地元の女の子に言い寄られた。
チョコを一本よこせから始まり、「I love you」 と手を握る。
俺のスケッチブックに描いた絵の上から落書きをする。
(多分現地の言葉で求愛してきてたんだと思う)
バッグに入れていた対冷房用の布をひったくって頭に被る。
もう何がなんだか分からない。
仕方なく「I have a girl friend 」
嘘をつく。
するとどうだろう、リストカットでびっしりの腕を見せつけて、うなだれてる。
こえ〜っ。
どうしたらいいか分からず、狸寝入りを決め込んだ。
狸寝入りを信じたらしく、肩にもたれかかってきた。
もういいや、肩ぐらい。
あんまり刺激すると何するか分かんないもん・・・。
でもまた手を握ってきて、さすがに我慢できなくなった。
「We can be friend, but I don't wanna have such a kind of relationship, OK!? 」
すると、また傷だらけの腕をだら〜ん。
地獄だ。

マラッカに着くと、一切口も聞かず目も会わせないようにして振り切った。
本当は何が一番嫌だったかって言うと、絵に落書きされたことだった。



(風も人も緩やかな町マラッカ)

さて、マラッカは素晴らしい。
町はオランダ統治時代の赤茶色が基調。
それだけではなく、イギリス統治時代の白い建物や、ポルトガル時代の石積のチャペル。
古い華僑の居住区、ムスリムのモスク、大阪から運ばれたマレーシア初のディーゼル列車まである。
何よりも嬉しいのは海があることだ。
温かい海の近くに住む人は穏やかだ。
この町からマラッカ海峡を挟んでインドネシアまでは60km。
向こう岸は見えないけれど、夕暮れに海を見に行くと、水面が夕日を反射してカナブンの背中みたいな色で光っていた。



(写真はpm7:00頃、絵はpm5:30頃)

図書館から拝借している「地球の歩き方」によれば、
この近くにポルトガル村があるという。
マレーシアでポルトガル語を話せるってこと!?
行くしかない !
ホテルで自転車を調達し、ギコギコ漕ぐこと20分。
ポルトガル村に着いた。


(ポルトガル村ではカブトガニが一杯500円で食える!)

いろんな人にポルトガル語で話しかけてみる。
半分くらい通じているようだ。
中にはほとんどポルトガル語を忘れてしまった人もいる。
でも、ぎりぎりコミュニケーションはとれる。

言語学者の研究で、このマラッカのポルトガル子孫が話しているポルトガル語こそオリジナルのポルトガル語だということが分かった。
つまり世界一古くからのポルトガル語だということ。
ポルトガルやブラジルのポルトガル語は他言語の影響をうけて変化してきた。
しかしマラッカのポルトガル人子孫のポルトガル語は真空パックしたように形を変えずに伝えられてきた。
これを日本語で例えると、江戸弁を話す人が遠い国に生き残っているようなことだ。
(左:アウグスチーニョと右:ケヴィン)

そのポルトガル村のギャングと話をした。
ギャングといっても自称ギャングで、夜遅くまで外で遊んでる不良少年。
彼らがギターを弾いていたので、コミュニケーションをとるチャンスがあると考えて近づいた。
18歳から30歳の男たちで、とても丁寧な人たちだった。
ギターを借りてBilie Jeanを歌うと、一発で打ち解けた。
ははは、音楽はすごい。
ウイスキーをたらふく飲ませてもらい、お返しに日本語を教えた。
「ありがとう」に始まってシモネタで終わる。
若者向けの常套レッスンだ。

この交流の中でリーダー風の30歳の男に聞いてみた。
ギャングっていうけど何してんの?クスリ売ってんの?
「俺たちがクスリやってるように見えるかぃ?誰もやらないよ、時間の無駄だろあんなの。他のグループとの喧嘩くらいだよ。ギャングらしいことって。それ以外は、だってほら俺たちフレンドリーだろ?
そのときに出会った10人ぐらいの若者の目にドラッグの影はなかった。
暗かったせいか、寂しさや、不安も見えなかった。
朗らかで、礼儀正しい。


リーダーが翌日の家族のバースデイ・パーティに誘ってくれた。
「ビールやマレーシアの飯がたくさんあるよ。絶対においで。この辺りでケヴィンていえば誰でも知ってるからさ。」
次の日どうするか決めてなかった。
放浪の旅でも約束を破ることはしたくない。
だから来れたらねと返事をした。


帰り、道に迷って行きよりもだいぶ時間がかかった。
でもどうでもよかった。
目をキラキラさせて「ありげどーごじぇましゅ」「こんにゃどーでしゅか」を連呼してる青年たちの顔を思い出して笑えたから。







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