船首に切り裂かれた水しぶきが高く上がる。
陽の光をさえぎるほど上がるので、船内の座席から窓越しに見ると、太陽を冷やそうとしているみたいだ。
フェリーは海をジャンプしてる。
船体が持ち上がったと思うとゴーン!と音を立てて着水する。
いや、着水というよりは船底をたたきつけるといった方が近い。
体が持ち上がって、股間がきゅぅっとなる。
高校生の頃は友だちの間でこの感覚を「ちんムズ」と呼んでいた。
「ちんちん」が「ムズッ」とするからだ。
エメラルドグリーンのビーチを求めて、マレー半島の東海岸から50km、東シナ海に浮かぶティオマン島に来た。
荷物が重たい。さっそくホテルを探す。
この辺りでシャレーと呼ばれるコテージを借りる。
リゾート地なので物価は割高だ。
食費は仕方ないとしても宿泊費は押さえたい。
「地球の歩き方」に載っていたサウスパシフィック・シャレーが900円。
無難だ。ここにしよう。
ボロかった。
部屋にはダブルベッドがどーんと置かれていて、それを蚊帳(かや)がかこんでいる。
そのせいか、部屋は薄暗い。日が差し込まないためジメッとしている。壁にはアリの大行列。寝室や便所を隊列を組んで俺の前を横切っていく。
トイレは流れない。閉じた蛇口から漏れだした水が20リットルくらいバケツに溜まっている。この水を持ち上げて一気にジャパーンと流す。自分の排泄物を流すのにこんなにエネルギーを使うと、自分と自分のうんこと、どちらが主だか分からなくなってくる。
こんなところ東京だったら家賃2000円でも住みたくない。
けれど、今回の旅で寝床の快適さは優先順位の下位だ。
どうでもいいのだそんなこと。
その地の生活を感じることにこそ意味がある。
この部屋に耐え、順応するという試練を自らに課した。
このシャレーのオーナーとの出会いは良かった。
オーナーはトニーといい、日本人の観光客からは「アジノモト」と呼ばれている。
どうしてアジノモトかというと、「ありがとう」がうまく発音できず、ごにょごにょして「アジノモト」と聞こえるというわけだ。それが広まってアジノモトと呼ばれるようになり、地球の歩き方にまでそう紹介されている。
今では「ありがとう」とちゃんと言えるのに「アジノモト」とわざと言っている。
トニーはレストランも持っているので彼のレストランで昼飯を食った。
トニーは「ありがとう」以外にも日本語を知っていて、披露してくれた。
サービス精神が旺盛なのだ。イヌ、ネコ、ワタシヨコヅナオトコマエ(私、横綱、男前)オイシイデスカ、等など。
そうして時間を過ごしているところにカップルが入ってきた。
男性はヨーロピアンで、女性はアジア人。日本人ではなさそうだ。
女性が席を立ってメニューを見た。
「おいしそう!」日本語だ。
日焼けしていて全然そうは見えなかったけど、日本人だった。
二人は夫婦でジョンさんと、かんなさん。
ジョンさんは日本での暮らしが長く、日本語がすごく上手だ。
二人はダイビングをしにティオマン島に来ていて、これから6ヶ月ここで暮らす。
ダイビングのマスターを目指すらしい。
二人は以前にもこの島に来たことがあるので、島のことをよく知っていた。水を安く調達する方法、リゾートに入り込んでWi-Fiを拝借する方法、島のグルメ事情や海のこと。
二人に会ってほっとした。
やはり、日本語での意思疎通は英語やポルトガル語の比にならない。
相手の言っていることが100パーセント理解できて、言いたいことが100パーセント言えるっていうのはたまらなく心地いい。
彼らの人柄が素晴らしいのもあって、
決壊したダムみたいにおしゃべりが止まらない。
人恋しかった。
しばらく話していて、二人が部屋に戻るというので、俺もレストランをでた。
水着に着替えてさっそく海で泳ぐ。
水は温かい。
この時期はモンスーンの影響で海が濁ると聞いた。
確かに浅瀬の水は砂や木々などの有機物を含んで、浅いにも関わらず底が見えない。
でも、沖の方にはエメラルドグリーンの海が広がっている。
泳いでそこまで行く。
息継ぎをすると口角から塩水が口に入る。
江ノ島の海水よりもおいしく感じるのは気のせいか。
泳ぎすすんでいくと水が透き通っていくのに気づく。
深いけど底が見える。
水泳用のゴーグルで潜ってカラフルな魚たちを追いかけ回す。
これは日本人だからだろうか。
魚を見てると「こいつは食えるのか、こいつは身がしまっていてうまそうだ」とか考える。
魚を見てるのが楽しい。
息継ぎをしに海面に顔を出すのが惜しい。
30分くらい魚とたわむれた。
泳ぎ疲れて、水面に仰向けになって浮かんでみる。
空がまぶしい。
眼下にはエネルギッシュなジャングルが広がっている。
あの夫婦とは友だちになれそうだ。
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